こんばんは。今週もお疲れさまでした。
私事ですが丁度先週くらいから仕事が忙しく、毎日残業続きでクタクタで。
夜ご飯食べたら眠気がきて、倒れて起きたら2時。そこから風呂入って、食器洗いして、とかやってたらこんな時間。
もう一度寝ようかなぁとも思いましたが、折角の一人の時間やし起きとくか、と思い只今執筆中。
結婚してから。特に子供が生まれてから1人の時間なんてほとんどないので、ふいにできたこんな時間がとても貴重です。
さて掲題の「代わりはいくらでもいる?」ですが
先月同じ部署の社員の方がご自身の体調不良が原因で自己都合退職されました。
その方は私が入社した時には既にいらっしゃったので、少なくとも10年くらいはいらっしゃったのでしょう。とても気さくな方で人望もあり、私が新人の頃からとても良くしてくださいました。
そんな方でも終わりはとてもあっけなくて。コロナ禍で催しなどがやりにくいということもあるとは思いますが、出社最終日でも特に全体への挨拶などもありませんでした。(後できちんと個人的に挨拶しに行きましたが)
それがなんというか、とりわけさみしくて。思い返すと公私で仲の良かった先輩や同期が辞める時もそんな感じだったなと。もっと昔は退職時にも挨拶なり壮行会のようなものがあったと別の先輩社員から聞きましたが、時代の流れというものなのでしょうか。(挨拶の打診はあったが断ってるケースもあるでしょうがね)
毎年転職市場は大きくなっており、確かに弊社からも人材が流出する機会が増えました。退職というものが当たり前になってきたのも理由の一つかもしれません。
でもなんか会社から「お前の代わりはいくらでもいる」と言われているようで、なんかイヤで。(考えすぎかな)
確かに会社という人の集まりはすごくて、中核を担っていた存在が抜けても何事もなかったかのようにその穴が埋まるんですよね。多少人が抜けても仕事は回るんです。YouTubeでカズレーザーが「スティーブジョブズでさえ代えが効く」と言っていましたが、その通りだなと思いました。
つまりは会社にとっては代えが効くかもしれないですが、個人にとっては唯一無二の存在だったということなのでしょうね。私の胸の中のモヤモヤの理由はそのへんにありそうです。理解はできるけど、納得はできない、みたいなところでしょうか。難しいところです。だって実際さみしいもんね。
とりとめもないですが、今抱えている感情を言葉にしたかった次第です。
読んでくださった方、ありがとうございます。
なんか湿っぽい記事が多いような気もするので、次の記事ではバスケの事についてでも語ろうかしらね。
では、また。
2022.2.5